上牛尾

上牛尾の歴史

兵庫県神崎郡市川町、上牛尾(かみうしお)。
播磨富士・笠形山のふもと、谷のいちばん奥の村。
姫路城の心柱を、山から送り出した村。

地名——牛尾庄の上手

中世、このあたりは「牛尾庄(うしおのしょう)」という荘園でした。はじめはひとつの牛尾村でしたが、17世紀の後半までに上下に分村し、谷の上手が上牛尾となりました。背後にそびえるのは笠形山(939m)——「播磨富士」と呼ばれる秀峰で、南の中腹がこの村に属します。

笠形の社と寺

山の中腹に鎮座する笠形神社は、孝徳天皇の御代(7世紀なかば)の創建と伝わる古社です。のちに笠形寺が開かれてからは「笠形明神」と呼ばれました。笠形寺もまた、白雉年間(650〜654年)に法道仙人が開いたと伝わる古刹で、平安時代の仏さま三体が市川町の文化財に指定されています。

雨乞いの山

笠形神社は古くから雨乞いの社として知られました。日照りの年には山頂で雨を祈り、安永12年(1783年)には姫路城主・榊原氏が千人を集めて雨乞いを行ったと由緒に記されています。豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、徳川家康が帰りの航路で家臣を代参させたという話も伝わります。

昭和34年——姫路城の心柱に

昭和34年(1959年)、姫路城の昭和の大修理のとき、天守閣を支える心柱(しんばしら)として選ばれたのが、笠形神社の御神木の檜でした。世界遺産の城の、いちばん芯のところに、この村の山の木が立っています。

棚田と現在——太閤検地から続く風景

昭和30年(1955年)7月、瀬加村は川辺村・甘地村・鶴居村と合併して市川町となり、上牛尾はその大字として現在に続いています。寺家(じけ)の集落には73枚の棚田が重なり、その歴史は太閤検地(1582年)の時代までさかのぼるといわれます。毎年7月には虫送りの火が畦をめぐる——山のふもとに、古い暮らしの形がいまも生きています。