上牛尾に残るもの

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姫路城の心柱を、送り出した社

笠形神社

笠形山の​中腹に​鎮座する​古社。​孝徳天皇の​御代​(7世紀なかば)の​創建と​伝わり、​古い​記録に​「眞見明神」と​あるのは​当社の​ことと​いわれます。​まつられているのは​須佐之男神・​大年神・邇邇芸命の​三柱。​例祭は​7月21日です。

古くから​雨乞いの​社と​して​知られ、​日照りの​年には​笠形山の​頂で​雨を​祈りました。​安永12年​(1783年)には​姫路城主・酒井氏が​千人を​集めて​雨乞いを​行ったと​由緒に​記されています。​秀吉の​朝鮮出兵の​おり、​徳川家康が​帰りの​航路から​家臣を​代参させたと​いう​話も​伝わります。

そして​昭和34年​(1959年)、​姫路城の​昭和の​大修理で、​天守を​支える​心柱に​選ばれたのが​当社の​御神木の​檜でした。​世界遺産の​城の​いちばん芯に、​この​山の​木が​立っています。

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白雉のむかしに、ひらかれた山寺

笠形寺

白雉年間​(650〜654年)、​法道仙人が​ひらいたと​伝わる​天台宗の​古刹。​本尊は​蔵王権現です。​笠形神社が​「笠形明神」と​呼ばれるようになったのは、​この​寺が​神社を​管理する​別当寺となってからと​伝わります。

寺には​平安時代の​仏像三体——木造不動明王坐像・聖観音立像・兜跋毘沙門天立像——が​伝わり、​市川町の​文化財に​指定されています。​高さ142センチの​不動明王は、​髪を​肩から​太ももまで​長く​垂らした、​めずらしい​姿です。

境内の​コウヤマキは​樹齢およそ​450年・樹高21メートルで、​兵庫県の​天然記念物。​千三百年の​寺の​庭に、​四百五十年の​木が​立っています。

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太閤検地から、四百年の段々

寺家の棚田

寺家​(じけ)の​集落の​斜面に、​73枚の​棚田が​重なります。​土の​畦と​石積みの​畦、​あわせて​3ヘクタール。​標高205〜302メートルの​急な​斜面を、​田んぼが​段々と​登っていきます。

この​棚田の​歴史は、​太閤検地​(1582年)の​時代まで​さかの​ぼると​いわれます。​四百年あまり、​同じ​斜面が​耕され続け、​いまも​約8割の​田が​現役です。

毎年​7月には、​田の​虫を​村の​外へ​送り出して​豊作を​祈る​「虫送り」が​行われます。​四百年前と​同じ​祈りが、​この​斜面で​いまも​生きています。

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山の村の、こんぴらさん

岩戸神社(岩戸金刀比羅神社)

「岩戸神社」の​通称で​親しまれる、​岩戸金刀比羅神社。​まつられているのは​伊弉諾命・伊弉冉命・手力男命——天の​岩戸を​ひらいた​神話に​連なる​神々です。​例祭は​10月10日。

由緒の​くわしい​記録は、​神社庁にも​残っていません。​それでも​「岩戸」と​いう​名には、​岩と​山の​気配が​宿ります。​笠形山の​ふもとの​村らしい​社名です。

「金刀比羅」の​名は​海の​守り神・こん​ぴらさんを、​「岩戸」の​名は​天の​岩戸の​神話を​思わせます。​海と​山、​ふたつの​信仰の​名を​重ねてもつ​——​それが​この​社の​ふしぎな​味わいです。

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熊野の気配を、宿す社

王子神社

宮の​前の​集落に​鎮座する​王子神社。​まつられているのは​伊弉諾命、​そして​事解之男命と​速玉之男命——熊野で​まつられる​神々です。​例祭は​7月16日。

「王子」と​いう​社名は、​熊野詣の​道すじに​点々と​まつられた​「王子社」を​思わせます。​この​社の​由緒は​伝わっていませんが、​名前と​祭神が、​遠い​熊野との​つながりを​ほの​めかしています。

静かな社です。​それでも​名前を​たどれば、​山の​村と​熊野信仰を​つなぐ​細い​糸が​見えてくる​——歩く​人だけが​気づける​場所です。

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お伊勢さまを、山あいに

塩谷神社

塩谷の​名を​持つ​小さな社。​まつられているのは​天照皇大神——お伊勢さまの​神さまです。​例祭は​3月16日。

由緒は​伝わっていません。​山あいの​村で​天照大神を​まつる​社は、​伊勢信仰が​村々へ​広がった​時代の​名残とも​考えられます。

春さきの​例祭が、​山の​村に​季節の​はじまりを​告げてきました。

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道ばたの、庚申さん

庚申祠

集落の​道すじに、​小さな​庚申祠​(こう​しんし)が​まつられています。

庚申信仰は、​暦の​「庚申​(かの​えさる)」の​夜に​村人が​集まり、​眠らずに​夜を​明かす——江戸時代に​村々へ​広がった​民間信仰です。​となりの​下瀬加には​庚申堂の​信仰に​まつわる​道具が​町の​民俗資料に​指定されており、​瀬加谷一帯で​この​信仰が​生きていた​ことが​分かります。

いまは​静かな​道ばたの祠。​それでも、​夜どおし語り​明かした​村人たちの​気配が、​ここに​残っています。

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